”草取り”が意味する事

ただいまの時刻は21:26。

今日の北見市は、朝は晴れていたものの、午後から強めに雨が降って湿っぽい感じでした。

長い冬を超えて、あっという間に春になり、草花が色づくいい季節になりましたが、視界には当たり前のように「雑草」が入るようになりました。これまで、雑草に関しては全く特別な意識はないばかりか、足元に生えていても何も気にせず、むしろ家の前の雑草も放置している感じでした。

ずっとマンションやアパート暮らしでしたし、自分の身近には雑草というものがなかったので「草取りはめちゃくちゃ面倒くさい」という前提がありました。

でも、今のオフィス兼住宅は一軒屋。気づけばけっこう雑草が生えているし、傍から見たら「手入されてない感じ、だらしない感じ」が漂っています。

今、とある農業経営者のホームぺージ制作をお手伝いしているのですが、そこの農家さんは「除草剤は一切使わない」、「草の種を一粒たりとも土に落とさせない」というほど草の管理や除去に関しては徹底していました。広大な畑を所有しており、その畑を先日見せてもらいましたが、本当に草が一本も生えていないのです。そして、栄養に富んだホクホクした感じの土壌で、それを見るだけで仕事に対する姿勢や経営者の生き様が伝わってきました。

実際にじっくりとお話しも聴かせていただきましたが、先祖の教えを忠実に守り、誇りを持って農業に取り組む姿は本当に頭が下がります。

それに比べて、自分は何もしていないしできていない。雑草がボーボーであることにも無関心である自分が、すごく恥ずかしくなりました。

しかし、現実としては、玄関を開けると雑草だらけのスペースが視界に飛び込んできます。草を抜いてこの状態をキレイにすることを想像するだけで気が遠くなる感じです。

コツコツと草を抜き続けることで、自分鍛錬に繋がると思えるようになったので、今朝のトレーニングの前に少しだけ草取りをしてみました。

最初はただ何となく始めただけだったのですが、1本1本抜くうちに、だんだん心身のスイッチが入ってきました。

気付けば、けっこうなスペースの草を取り、用意していたゴミ袋が満タンになるほどでした。

草がなくなってスッキリした印象になったと同時に、自分のココロも晴れやかになった感じがしました。

とりあえず、明朝も草取りをしてみて、しばらく続けてみようと思っています。

以前無関心でむしろ面倒臭そうという印象しかなかった草取りですが、実際はすごく奥が深いのかも。

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